虐待の連鎖。親になるということ。

「虐待の連鎖。親になるということ。」

なぜ人は弱者をいじめるのか。


順風満帆で、心も満たされ、食も満たされ、全てが満たされている時は、人はあえて誰かを殴ろうとするだろうか。

やはり、何か満たされていない空洞があり、それが地位なのか、名声なのか、愛情なのかは人によるだろうけど、この自分の自信のなさが、弱者を傷めることで、「自分は強い。自分は人を虐げる強さがある」と誇示し、自分の弱さを見ようとしない人、受け入れようとしない人がこのような行動に移ってしまうのかもしれません。


幼少期に親から認められない、虐待されたなどの環境で育った子どもたちは、自分は殴られて当然だと自己肯定感の低い人に育ちやすいです。
また、暴力で支配された子たちは、暴力で人を支配できると、歪んだ愛情、支配欲になる人もいるでしょう。

また、ある者は虐待した親を恨み、家庭内暴力に走る子もいるでしょう。


こうして、虐待、暴力は連鎖してしまうことがあるのです。


ただ、それを断ち切れる人もいます。

何がちがうのか?


それは、自分という人間の弱さや強さを受け入れられているということ。

そして、苦い過去からは決別し、子どもの頃に起こった出来事は、それが虐待、親の離別などなんであれ、自分の責任ではないと、切り離して考えられているということ。

そして、自分がしたことも、親や他人にされたことも許せることができたならば、怒り、後ろめたさ、自信のなさなどを捨て、
自分の足で、過去から決別した一歩を踏み出せるのだと思います。


これは、自分という人間を愛し、自らの手で自分の人生を歩もうと考えられたからなのです。


暴言、暴力で支配しようとする人は、孤独で寂しく、自分を愛することができずに、もがき苦しむ弱い人なんだと思います。


親になれば、自然と子を愛す、立派な親になれるわけではなく、右往左往、悪戦苦闘しながら、社会に助けられ、周りの人に助けられ、やっと子を育てられる親に、親も成長していくのです。


もっと日本の法律が、明らかに虐待があると判断された時。
子どもが虐待のSOSサインがあった時。

親との離別を強制できるシステムや親権を外すことができるものがあるのであれば、

今回みたいな、子どものSOSを暴力を奮っている親に役所が言ってしまったり、
虐待がある親の元に戻したりという惨劇は起こらなかったんだろなと思うと心が痛みます。


血の繋がっている恐怖の親よりも、
血の繋がっていない、愛情たくさんの親代わりの人に育てられた方が、幸せだと思います。


ただ、人間の心は読めない。
その判断基準が難しいのは事実。


何か、子どもたちが笑顔で過ごせれる世の中になればと思ってなりません。



イライラして、何かに当たってしまいそうな時は、贅沢なアイスで心を満たしましょう。

子どもに当たってしまうエネルギーを、この時間が回避させてくれますよ。

子どもを愛情いっぱいに育てたいのであれば、まず自分をいっぱい愛しましょう。


調布市深大寺
心と身体ケアサロン Mavie

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